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記念碑を手入れするチャトリさん(左)と夫のヌガパストゥルさん=ブレレン県ティンガティンガ村で
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村の共同墓地の一角に、白い柵に囲まれた記念碑があった。「航空機事故で亡くなった方々を悼むために」という文字と、長い間放置されたままの日本のせんべいが見える。
一九七四年四月二十二日。パンアメリカン(パンナム)航空機がバリ島北部ブレレン県の山中に墜落、百七人の乗客乗員全員が死亡した。この事故で、日本は新婚三組を含む二十九人の最大の犠牲者を出した。
遺体は、事故現場に最も近いティンガティンガ村に運ばれ、遺族有志が記念碑を建てた。
しかし、同村はングラライ空港から半日以上もかかり、遺族らが訪れにくいため、パンナム航空(一九九一年に倒産)は事故の翌年、犠牲者を出した各国政府とともにサヌール・パダンガラに記念碑を建立。ティンガティンガ村を訪れる人はほとんどいなくなった。
事故から今年でちょうど三十年。今ではサヌールの記念碑を訪れる人もほとんどいない。
「連絡してくれればもっときれいにしたのに」。数輪の小さな花を抱えてやって来たマデ・チャトリさん(五〇)が慌てて記念碑のほこりを払う。墓地の隣に住むチャトリさんは、夫とともに、畑仕事の傍ら、記念碑の「墓守」をしてきた。
「この村を訪れる人もほとんどいなくなりました。年に一、二回、日本の遺族が来るぐらいです」
バリを愛した若い夫婦らの冥福を祈り、小さく手を合わせた。