テルナテ滞在中、私がイスラム教の「聖戦部隊」に脅されたバスティオン港に行ってみた。
九九年十二月、ハルマヘラ島のトベロなどで二千人ともいわれるイスラム教徒がキリスト教徒に虐殺された。インドネシアの多数派イスラム教徒が大量に虐殺されたことで、「聖戦部隊」(ラスカルジハード)を名乗る武装集団がジャワ島やスラウェシ島など各地で集会を開き「報復」を叫んだ。
そしてジャワやスラウェシから大型客船が到着し、ハルマヘラに渡る港があるテルナテに大挙して集まり、地元のイスラム教徒を巻き込み、キリスト教徒の住む村や町への襲撃の準備を進めていた。
二〇〇一年一月、私は共同通信の米元文秋さんとテルナテで取材をしていた。町のいたるところから「キンコンカン」と刀を作る鍛冶の音が聞こえていた。モスクでは礼拝の後も「作戦会議」が続いていた。警察は武装集団をまったく取り締まらず、治安は極度に悪化していた。
私たちは「聖戦部隊」がバスティオン港からハルマヘラに出発するというので見に行った。桟橋には白鉢巻をし、刀を差した白装束の集団が集まっていた。戦国時代に逆戻りした雰囲気だった。観光客は一人もいない。警官はいるがここでも仕事をしていない。
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テルナテ島のバスティオン港にはチドレ島と結ぶスピードボートが復活した
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私たちは離れた所から写真を撮っていた。一人の男が「撮るな!」と叫んだ。私たちは慌ててカメラをかばんの中にしまった。近くにいた人が「日本人だ。敵ではない」と言ってなだめた。「だめだ。誰であろうと敵だ!」と、男は興奮して叫んだ。
その声であっという間に大勢の「聖戦部隊」に囲まれた。私服の警官が「とにかくこの場を去れ」と言い、白バイの先導で港を後にした。「聖戦部隊」はトラックに乗って追いかけて来た。
逃げ込んだ先は警察署だった。刀を振りかざした集団は「二人を表に出せ!」と叫び続けていた。私たちは「なぜ彼らを現行犯逮捕せず、野放しにしておくんだ」と訴えたが、警察は逆に私たちを長時間取り調べた。
私にとってバスティオン港は怖い思い出の地だが、千ルピア紙幣に描かれている美しい海と島の風景にうっとりさせられる。
もう怖い「聖戦部隊」は一人もいなかった。対岸のチドレ島と結ぶフェリーやスピードボートが復活していた。私はフェリーに乗り「日本人を見たのは久し振りだ」と声を掛けてきた男性から話を聞いた。
「メディアがオーバーに伝えたのが間違いで、テルナテもチドレもたいしたことはなかった。ハルマヘラだけがひどかったんだ」と彼は言った。
「そんなことはない。ここでも多くの人が殺され、町が焼かれ、避難民は今でもたくさんいる。まだ帰って来られない人、心の傷が癒えていない人もいるはずだ」と私は言った。
「いや、もう忘れたいんだ」と言った後、彼は黙り込んでしまった。
ハルマヘラにも渡りたかったが、アンボン行きの客船が二週間に一度しかないことが分かった。島と島との交流が途絶えた紛争中に連絡船が欠航し、そのままの状態が続いている。そんなところにもまだ紛争の影響は残っている。
ハルマヘラは次回に回して、私はアンボン行きの客船リンジャニ号に乗り込んだ。