一九九八年十二月二十六日朝、ポソ市内のモスク近くで、キリスト教徒の若者が乗車していたオートバイが故障した。若者は、そばにいたイスラム教徒の若者から工具を借りようとした。
和平合意を喧伝するビラ。左から2人目が政府代表のユスフ・カラ公共福祉担当調整相
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 | トボンド氏と、ポソ県議会議員のエリサベス・ラビロ夫人
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キリスト教徒の若者は前夜のクリスマスに大酒を飲み、酔っ払っていた。一方、イスラム教徒の若者は、夜を明かしてのキリスト教徒の騒ぎに苛立っていた。二人は必然的に口論となり、けんかに発展した。
キリスト教徒の若者がナイフを取り出した。さらに、モスクの中に逃げ込んだイスラム教徒の若者を追いかけ、腕を切りつけた。
それが、その後千人以上の死者を出したポソ紛争の始まりだった。翌二十七日から、事件を知ったイスラム教徒の住民による暴動が始まった。
「しかし、一九九八、九九年の時点では、両教徒の間で散発的な衝突が繰り返されるのみだった。銃器などは使用されず、主に商店への略奪が行われた」
中部スラウェシ州キリスト教会の代表、アーノルド・トボンド氏(五一)は日記をめくりながら、過去の記録を読み上げた。
■大量の聖戦部隊が潜入
ポソ紛争とは一体何だったのか、そして今、ポソにどのような問題が残されているのか。
この問いの答えを求め、二〇〇一年十二月のマリノ和平会議にキリスト教徒側から出席した二十三人のうちの一人、トボンド氏に会った。
トボンド氏は、宗教抗争勃発時から、最近の一連の襲撃事件に至るまで、発生日時、警察の捜査内容など詳細な記録を取り続けていた。
そこで明らかなのは、九九年の時点までは、ポソ問題は「あくまで住民同士の抗争」(トボンド氏)だったこと。だが、九九年一月にアンボンで宗教抗争が勃発。
偶然の出来事なのか意図的な政略なのか、キリスト教徒が大半を占める居住地が相次いで不安定化した。トボンド氏は、九九年の約一年間、アンボンやポソを目指し、ジャワやマカッサルから「聖戦部隊」が大量に潜入したとみている。
二〇〇〇年に入り、ポソ市内最大のプロテスタント系教会が燃やされた。キリスト教徒はポソ市を追われる形で、テンテナや山間部に逃げ、逆にモスクやイスラム教徒を襲撃した。
銃器も使用され始め、ポソの住民抗争は、キリスト教徒とイスラム教徒が血で血を洗う「殺し合い」に変質した。
トボンド氏は「元々ポソに住んでいたイスラム教徒の中には、キリスト教徒と親族関係にある者も多い。われわれは共通の被害者だ。外部者がわれわれを苦しめている」と語った。
だが、その外部者とは誰なのか。トボンド氏は頭を抱え、首を振るばかりだった。